ドラマ『小さい頃は、神様がいて』では、小倉渉(俳優:北村有起哉)は優しい夫なのに、少し鈍感な所があり、いきなり妻から離婚を突きつけられます。
そんなドラマ『小さい頃は、神様がいて』の6つの名言について、詳しく紹介するので参考にしてみて下さい。
生きる事は諦める事の連続(ドラマ『小さい頃は、神様がいて 第1話』の名言)
小倉渉(俳優:北村有起哉)は、幼い頃は神様がいて、良い事をしたら、きっと幸せな事が起きると思っていました。
しかし、そのような事はないと気づき始めて、そのうち『生きる事は諦める事の連続』と考えてしまいます。
実際に、若い頃は好きな事を仕事にしたいと思って、いつか夢が破れて、夢を諦めて、現実的な道を模索するケースは多くあります。
いつかは、綺麗な夜景が見えるタワーマンションに住みたいと思っても、いつまでも貯金をためられず、諦めてしまう事もある訳です。
まさに、生きる事は諦める事の連続であり、すべての方が大谷翔平選手のように夢を叶えて、多くの方を熱狂できる訳ではないので、なかなか辛い世の中ですね。

自分の幸せが相手の幸せとは限らない(ドラマ『小さい頃は、神様がいて 第1話』の名言)
小倉渉は『自分の幸せが相手の幸せとは限らない』とも思っていて、その不安は的中したのか?もしくは不幸を思い起こしたのか?
妻から離婚をつきつけられて、自分の幸せが相手の幸せとは限らない事を痛感させられます。
熟年離婚でも問題になっているのは、夫側が家族のために働いてきたという自負があっても、奥さんのほうは家事や育児をロクに分担してくれなかったという不満があります。
しかも、週に2日ぐらい家にいるのなら我慢できても、毎日家にいられるのは耐えられないと思って、夫が定年退職したあとに離婚を突きつける事もあるのです。
大人になったら奇跡は起こるだろうか(ドラマ『小さい頃は、神様がいて 第1話』の名言)
小倉渉は『大人になったら、奇跡は起こるのだろうか?』と思いますが、実際にはそれほどの奇跡は起こらず、娘が20歳になる前に、妻から離婚を宣告されてしまいます。
ただ漠然と、大人になったら、良い事があるのだろうか?と思っていても、あまり良い未来にならず、しっかりと努力している人だけに明るい未来が待っています。
ただし、努力していても、努力の方向性が間違っていたり、自分よりもライバルが手強かったりしたら、あまり良いいっけにならない時があるのです。
あくまでも、最低でも努力しなくてはいけませんが、それで良い結果になるかどうかは保証できないので、努力したから必ず報われるという訳でもないのが難しい所です。
良い人や優しい人の偏見にぶつかるのはキツイ(ドラマ『小さい頃は、神様がいて 第2話』の名言)
高村志保(俳優:石井杏奈)や樋口奈央(俳優:小野花梨)たちは、小倉渉が良い人と認めつつも「良い人や優しい人の偏見にぶつかるのはキツイ」と言ってしまいます。
いくら性格が優しくても、価値観があまりにも違う感じがして、そんな人からの偏見を聞いてしまうと辛いと思ってしまったのでしょう。
実際に、二人は女性同士で一緒に暮らして愛し合っていましたが、小倉渉は昭和な男性という感じがして、家庭は妻に任せっきりで外で働いているように見えました。
きっと、あの人は私たちの事を理解できないだろうし、あの人の価値観も私たちには理解できないと思ったのでしょう。

もともと軽やかな顔ではない(ドラマ『小さい頃は、神様がいて 第2話』の名言)
小倉渉は、妻が本気で離婚しようとしている事を知って、大きな衝撃を受けてしまい、意気消沈してしまいます。
そんな時に、社長から声をかけられるので、一緒についていく事になりますが「もともと軽やかな顔ではない」という話になってしまいます。
それだけ、小倉渉にとっては妻が大事な存在であり、まさか離婚しようとしているとは思ってもみなかったのでしょう。
確かに、娘が20歳になったら離婚するという約束はしてしまいましたが、そこまでの約束をしなければ、当時の妻は育児をする気力がわかなかったからです。
武士の情けの助け合い(ドラマ『小さい頃は、神様がいて 第2話』の名言)
永島慎一(俳優:草刈正雄)が、今度は皆んなを自分たちの部屋に招き入れる事にしましたが、小倉あんから「渉さんから頼まれたんでしょう?」と指摘されます。
まだ離婚する気である事を言ってから、小倉渉が二人っきりでいるのが辛くて、きっと助けを求めたに違いないと見抜いていたのです。
さとこ(俳優:阿川佐和子)は、うろたえる夫・慎一を見て「男って、すぐ手を組みたがるよね。武士の情けの助け合いみたいで」と嫌味を言ってしまいました。
男を武士に例えて、言い得て妙な名言という感じがしましたね。
残りの人生は罪滅ぼし(ドラマ『小さい頃は、神様がいて 第3話』の名言)
永島慎一(俳優:草刈正雄)は、仕事ばかりしていて、家庭を省みる暇はなくて「残りの人生は罪滅ぼし」と打ち明けていました。
会社で働いている最中は、家庭を顧みず、定年退職してから、家庭としっかり向き合おうとする人は、日本に多くいます。
しかし、定年退職したあとに、妻から熟年離婚されるケースもあるので、いくら、残りの人生は罪滅ぼしと思っていても、手遅れの場合もあるのです。
そのため、日頃から、しっかりと奥さんとコミュニケーションを取り、家庭の事も見ていたほうが良いでしょう。

離婚して良い理由なんて誰も決められない(ドラマ『小さい頃は、神様がいて 第3話』の名言)
小倉あんは「子供がいるのに離婚するなんて勝手とか思いますか?」と聞いてみると、さとこ(俳優:阿川佐和子)から「離婚して良い理由なんて誰も決められない」と励まされます。
世間では、そこまでされたら離婚していいとか、そんな事で離婚するのとか、色々な意見が出る事があります。
しかし、さとこにしてみれば、小倉あんの背中を押してあげたいという思いがあり、他人が家庭の事情など分かる訳がないという思いから、このような名言が生まれたのでしょう。
泣く男の人が好き(ドラマ『小さい頃は、神様がいて 第3話』の名言)
小倉あんは、皆んなに離婚する事がバレていたのに、それでも小倉渉のどこが好きになったとか?なれそめについて聞かれます。
そこで、あんは「男は泣かない方が良いって言うけど、私は、泣く男の人が好き」と打ち明けていました。
恐らく、頼り甲斐のない男が好きで頼られるのが良いというよりは、自分の感情を素直に表現して、裏表のない男が好きという意味なのでしょう。
女性は多かれ少なかれお城に閉じ込められたお姫様(ドラマ『小さい頃は、神様がいて 第3話』の名言)
永島慎一は「女性は多かれ少なかれお城に閉じ込められたお姫様」と例えて、なにか素敵なおとぎ話のような名言をいっていました。
これは、おとぎ話のように女性が素晴らしいと讃えているというよりは、日本人女性の多くが家にとじこもって、妊娠、出産、育児などをしていると言いたかったのでしょう。
一時的に、病院で出産する事はあっても、外で好きな仕事ができず、不平等な世の中になっていると言いたかったのでしょう。


